投げ出す気持ちと支え続ける勇気

喫茶店

僕は昔から少し
極端な考え方な部分がある

例えば車に乗った時にエアコンは
冷房MAXか暖房MAXにしてしまう

特に冬は最強に温かい
服装をしていないと
なんだか不安で

インナーダウンにフリースを着て
アウターはしっかり目の
ダウンを着たりすることもある

そんな僕を横目に
奥さんは割と
冬でも薄着である

僕からすると
「大丈夫?そんな薄着で?」
と思うぐらい

なので奥さんが着ぶくれした
姿を見たことがない

ただ、奥さんや子どもたちに
聞くと僕が変らしく
車でも適温に設定すればいいし
服装もそこまで冬対策は
必要ないと言われる

そんな僕は昔
友人にお金を貸して
音信不通になったことがある

友人だったこともあり
時間が経てば経つほど
なんだか頭にきて

色々と心無い言葉で
奥さんに愚痴っていた

そんな時、奥さんは
相手に何か理由があったのかもしれない
貸したのは貴方なんだから
あげたと思ったらどう?とか
言い出したので
絶対にそれはおかしい!と思い

自分的には理路整然と
自分が絶対に正しいということを
奥さんに説明したのだけれど
奥さんは僕を論破しなかった

最後にそっと
「また連絡があるといいね」と
言っただけで

僕は「あんな奴もう二度と連絡してほしくない」
と言い返した

そこから月日が流れ
とある日にその人から連絡があった

どうしても時間を作ってくれないか?
とのことだったので
最寄りの喫茶店で待ち合わせをした

僕は今更なにを言いに来るんだ!と
怒りこそもう無かったけど
最後にどんな話をしにくるのか
見てやろうと思い喫茶店へ向かった

そして喫茶店で
数年ぶりに色々と話しを聞き
お金も満額返してもらい
コーヒーを飲んで帰った

お金を返してもらえたのは
当然良かったけど

心のなかでは
返して当たり前だろうとも思ってたけど
なんだか変な気持ちになった

そもそも貸してあげると
容認したのは僕であり

相手がどんな人間か
自身で判断した上での行動だし

僕は一体何のために
この数年嫌な思いを
し続けていたのだろう

そんな時に奥さんの
言葉を思い出した

そういえば
「返ってくるといいね」ではなく
「また連絡があるといいね」だったなと

奥さんはいつも僕が
勝手気ままな事をしても
些細な口喧嘩こそあっても

いつも戻る場所を用意してくれて
見限ることもなく
優しく話を聞いて
食事を用意してくれる

洗濯だってしてくれるし
お弁当だって作ってくれる

それは喧嘩した
次の日でも同じように

そっか、そうなんだ…

自分が絶対に正しいなんて事は
どうでもよくて

自分が選んだ選択肢に
大切な場所や物や人が居て
それが少し違う方向へ行ったとしても
いつでも戻ってこれるように
大きく包み込んであげれる自分でいれば
大体のことはちっぽけに思える

自分がいつも奥さんに
包んでもらっていることを棚に上げ

自分がしている考えている事が
絶対に正しいと思っていたことが
今では本当に恥ずかしく
自分の人生を狭くしていたなと思う

正しいとか間違っているとか極論
人に迷惑さえかけなければ
どうでもいいし、どちらでもいい

大切なのは
自分が選んだことに対して
包み込む人間であること

僕はそう学んだ

喫茶店

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