僕の奥さんは料理が得意だ。
その中でも僕が1番好きな料理はコロッケ。
奥さんの作るコロッケはよく見る小判型ではなく
直径5cmぐらいのまんまるな形をしている。
夕食がコロッケの時は食卓に
山盛りになったコロッケの塔が真ん中に鎮座している。
これだけで僕のテンションはMAXになっていく。
思い返せば、まだ僕が一人暮らしをしている時
奥さんがよく食事を作りに来てくれていた。
パスタに煮物、チャーハンにカレーとどれを食べても
全部美味しかったんだけど、その中でも奥さんの作る
コロッケは数あるカルチャーショックの1つである。
僕は実家暮らしの時は小判型のコロッケしか
食べたことも見たことも無かったんだけど
まんまるに捏ねられた無数にあるコロッケタワーを
初めて見た時は、まぁまぁ衝撃だった。
二人で小さなテーブルで「いただきます」と言い
口にした熱々でホクホクのまんまるコロッケの味は
コロッケなんだけど、今まで食べたことのないぐらい
本当に美味しかった。
その味は今ではウチの家族の味となり
子どもたちも大好きな一品と昇格している。
どんなに当たり前で誰でも知ってる料理だとしても
その人が一生懸命、そして楽しそうに作ってくれた料理は
食べる前から美味しくて、嬉しくて、楽しい。
それを一緒に食べて、笑って、他愛もない話をして
それが愛おしくて今まで積み重ねてこれた大切な体験だ。
でも、これって「作ってもらって当たり前」とか
「またコロッケかよ」となっちゃうと美味しさも激減するだろうし
感動も楽しくも、感謝もないと思う。
人生の間に、あと何回奥さんの料理が食べれるかなんて
誰にもわからないのに、そんな勿体ないことをしてはいけないと思うし
どうせ限られた24時間、365日を共に生活するのであれば
絶対に楽しいほうがいい。
そしてそれは、目の前で鼻歌を歌いながら料理をする
奥さんとコロッケに感謝するという食前のスパイスを
振りかけるだけで味わえる。
コロッケはいつも、このお皿で彩る
今回飲んだコーヒーは季刊誌でいつも楽しく読んでいる
STANDART19号と一緒に送られてきた豆
コーヒーと活字はいつだって相性がいいなと思う。